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元バルセロナ五輪日本代表 長島 浩2011/1



無敵の中・重量級ボクサーといったら勝手にコワモテの大男をイメージしていたが、その期待は大いに裏切られた。「どうも、はじめまして」と、まったく壁を感じさせない、自然な笑みをたたえて、長島浩さんは現れた。

 おもだちも物腰も、こちらが拍子抜けするくらいに穏やかなこの方は、しかし、まぎれもなくかつてその名を轟かせたトップアマだった。そして、この日のインタビューに同席した後輩の菊地さん、大久保さん、MTの村野会長ら、当時をよく知る方々の証言を重ね合わせると、長島浩というボクサーは努力をしているところは人に見せず、悪さは人並み以上にしでかしたが、ボクシングについては才能のかたまりのような人だった、ということになる。

なにしろ小さいころから、家にはサンドバッグがあった。いまや強豪校のひとつである横浜・武相高校にボクシング部を興した長島武氏を父に持ち、二人のおじも元ボクサー。松島勝之(ソウル五輪8強)・二郎(元日本バンタム級王者)兄弟とは、いとこ同士。まさしくボクシングファミリーの一員、である。そんな浩少年は武相中学入学後、本格的にボクシングを始めた。

「高校のボクシング部、のぞいてみたらカッコよく見えて。みそっかすながら、中学の時から高校で練習させてもらったんです。小学校の時はリトルリーグで野球をしていたんだけど、(中学では)野球部には入らず、高校のボクシング部に入れてもらいました」

 ほどなくして、自らの才能を予感したという。スパーリングとはいえ、高校生にも負けなかった。目指したのは、東欧のトップアマが体現する、“打たせない”ボクシング。

「中一の時に横浜で第1回目の世界ジュニア選手権というのがあって。そこに出場していたソ連のサウスポーを見て、すげえな、と思ったんです。パンチ、一発も食わないんですよ。それまではテレビでプロの試合しか見てなかったから、そんなボクシング見たことなかった。それで、オレもできねえかな、と思って、そのスタイルを頭に焼き付けました」

 長身を生かしたサウスポーのアウトボクサースタイル。村野会長によれば「とにかく、相手に触れさせない。サウスポーなのにジャブがよく当たり、相手がアクションを起こす前に自分が当てている。国体では一発ももらわないうちに優勝しちゃった。練習しないのにね…才能のかたまりです」という。後輩の菊地さんは「長島さんの技術は盗めない。ふつうよりも5倍くらい速いから、参考にできないんですよね」と、恨めしげに話す。国際大会の審判として来日していたルーマニア人ジャッジをして「あのボクサーはいい」と言わしめたほど、東欧スタイルを体現していた長島さんは、トップアマとして輝かしいキャリアを積み上げていった。

武相高校時代に全国インターハイ制覇。日大進学後も全日本選手権の常連で社会人時代も含めて3度の優勝を果たし、世界選手権ソ連大会、同オーストラリア大会に出場。そして、アマチュアの最高峰、オリンピックにも到達した。その92年バルセロナ五輪は、はじめて地域予選が導入された大会。前回ソウル五輪までは国内選考だけを勝ち抜けばよかったが、バルセロナに行くにはアジア予選で各階級6人、という狭き門になった。長島さんはタイで行われた一次予選で代表権を勝ち取った。

「それまでの成績を考えたら、アジア予選を突破するのは大丈夫だろうとは思ってから。でも、バルセロナ前2年くらいはすごい練習したって、自分でも思うよね。真冬に寺で座禅組んだりもしたしね。努力は、性格的に向いてないんだけど(笑)」

 練習嫌いで通っていた長島さんも、本気になった。大学卒業後もユニマット所属で競技を続け、プロのジムでトレーナーをしていた村野さんのサポートもあり、念願を達成した。バルセロナ五輪1回戦、それがボクサーとしての最後の試合となった。

「日大にはまわりにたくさん五輪選手がいたから、オリンピックには出たかった。やっぱり選手としての旬は、(大学時代だった)ソウルの時だったと思うんだ。スポーツ選手としては、なんであの時に努力できなかったんだろう、って思う。思い返せば、悔いだらけだよ」

 それならば、ボクシングに未練はなかったのだろうか。プロの世界で続ける気持ちは、芽生えなかったのだろうか。

「プロには、行く気にならなかったね。大学1年で全日本を獲ってそれからずっと年に3,4回は日本代表として外国で戦って、いろんな貴重な経験をできたしね。当時の共産圏とか普通じゃいけないところへ行けて、国賓扱いを受けたりするんだから。プロの世界が、それに勝る魅力があるものには思えなかったよね。それに世界選手権に2度出て世界のトップをみてしまったら、素直に、プロで世界チャンピオンになるのは無理だろうな、と思ったもん。やっぱり、違うよ。大学生のころ、平仲さん(明信、のちの世界スーパーライト級王者)とスパーリングした時、“オレのハートとおまえの技術があったら、シュガー・レイ・レナードになれるのに”って言われたけれどね」

 自身のボクシングを、“危険を冒さないボクシング”と表現する長島さんだが、観戦者としては血湧き肉踊るような熱い試合が好きだという。なんの前情報も入れずにボクサーの動きを見て、センスのほどを見極めて行く末を見守るのも楽しみの一つだ。が、現役のボクサーたちに、自身の経験から何かアドバイスがあるかと尋ねると…

「勝負だから、やるなら努力しなくちゃいけないということだけは言えるけれど、それ以外は、簡単には言えないんだよね…。トレーナーとか指導する人たちは、本当にすごいなと思う。自分は簡単に、ああすれば、こうすれば、って言えないもん。その人の人生に立ち入ることだから。それには、すごい覚悟がいるよね。レールが何本もある中で、どれを行きなさい、って、言えないよね。やっぱり、自分で気づくしかないと思うし」

 引退後、会社員として3人の娘さんのお父さんとして暮らす中で、ボクシングの元五輪代表という勲章をおもてに出す機会は、ほとんどないという。現役時代のことなんて、誰に話す機会も、普段思い出す機会もない、と。

「あっでも、負けた試合は全部覚えてますよ(笑)。相手が手を挙げているシーン。まぁ…負けるわけないと思ってやってるから。でも、165戦したけど、最後の最後まで、毎回こわかった。1試合1試合、リングに上がる時は心細くて…心の中でおがんでた(笑)。キャリア積めば積むほど、よけいにその恐怖は強くなっていったよね。慣れる、なんてことは、なかったなぁ…」

 日本ボクシング界の歴史にしっかりと名前を刻んだ拳豪の言葉は、度が過ぎるくらいに控えめで、だからこそ、本当の強さを思わせる。

元バルセロナ五輪ライトミドル級代表。

「人に自慢することじゃないよ。自分自身に対する勲章、ではあるけどね」


Profile

長島浩[ながしま ひろし]1966年3月15日生まれ。神奈川県横浜市出身。武相中→武相高→日本大学。身長180センチ、左ボクサースタイル。武相高にボクシング部を興した父・武さんの影響で、中学時代にボクシングを始める。84年インターハイ・ライトウェルター級制覇。85年、86年、90年の全日本選手権ウェルター級優勝と、トップアマとして活躍、数々の国際大会にも出場した。92年、アジア予選を突破してバルセロナ五輪にライトミドル級代表として出場を果たしている。最終戦績は165戦135勝30敗(国内では8敗)。KO・RSC勝ちは約8割。



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